昨今の地球温暖化に伴い、エアコン、冷蔵庫、洗濯機などの家電製品の消費電力のさらなる削減が求められています。この課題に対して、パワーデバイスの技術革新が大きく寄与しています。特に、シリコンカーバイド(SiC)やガリウムナイトライド(GaN)といった新素材を用いたパワーデバイスは、電力変換効率を高め、電力消費を抑える上で重要な役割を果たしています。しかし、電力変換効率を最大限に高めるためには、コンバータやインバータの設計においてスイッチング動作の高度な制御が不可欠です。
パワーデバイスがONからOFF、またはOFFからONに切り替わる際に生じる電力の損失をスイッチング損失と呼び、これがエネルギー効率の低下を引き起こします。特に高効率な家電製品では、スイッチング損失が全体の電力消費に大きな影響を与えるため、その低減が求められます。これを実現するには、コンバータやインバータの動作中に発生するスイッチング損失を測定し、具体的な損失原因を特定することが重要です。これにより最適な設計や制御方法を導き、エネルギー効率を効果的に向上させることができます。
スイッチング損失の測定は、通常、オシロスコープで取得したスイッチングデバイスの出力電圧および電流波形を用いて行います。一般的な手法として、波形にカーソルを当て、手計算でスイッチング損失を求める方法があります。しかし、この手法は手間がかかるだけでなく、属人性が高いという課題があります。
さらに、SiCやGaNといった次世代デバイスは、高効率を実現するために高速化および高電圧化がさらに進んでいます。これらのデバイスはスイッチングの立ち上がりが速いため、プローブとオシロスコープの仕様である周波数帯域を慎重に選定しなければ、波形の立ち上がりが鈍化し、スイッチング損失の測定誤差が大きくなります。また、高電圧デバイスの測定では、オシロスコープの電圧レンジ軸感度を高く設定する必要があり、その結果、測定分解能が低下して誤差が増大します。
本資料では、スイッチング損失の測定において、上述した課題を解決するための手法として、高分解能オシロスコープと差動プローブの特長を活かしたアプローチを紹介します。
DLM3000HD/DLM5000HDでは、電源解析機能(/G3オプション)を提供しております。本資料で紹介する自動デスキュー機能やスイッチング損失演算はこのオプションに搭載されています。
精度の高い測定を行うために、以下の手順に従って実施します。
※ 手順3と4は入れ替え可能です。
※ 手順5については、各プローブの伝搬遅延がスペックとして示されている場合、その値を参照して設定することも可能です。ただし、デスキュー調整信号源701936を使用して自動デスキューを実行する方が、より簡単で確実です。
パワーデバイスのスイッチング損失は、図1に示すように、ターンON/OFF区間のスイッチング損失に、ON 区間の導通損失を加えたものとして扱うのが一般的です。
図1 スイッチング損失概要
DLMシリーズのスイッチング損失演算では、図2のような波形に対し、T1–T5の1周期を対象にして、各区間の電力損失を次の式で求めます。ここで、RDS(on)はMOSFETのオン抵抗、VCE(sat)はIGBTの飽和電圧を表します。なお、OFF 区間(T4–T5)の損失はゼロとして扱います。
図2 測定区間と基準レベル
演算を行うために必要なパラメータは次の3つです。
1はデバイスのデータシートに記載された値を用いますが、2、3は測定者が適宜設定をします。何らかの指針、例えば波形のHigh–Lowのx%などを確立できれば、測定を標準化することができます。
損失の演算結果は、電力[W]および電力量[JまたはWh]として、以下の4種類を表示することができます。
図3は、SiCのスイッチング損失を実測した例です。測定範囲を制限することにより、複数の周期の中から1つの周期に注目し損失を求めています。DLMシリーズでは任意の2箇所を同時にズームできるため、ターンON 部とターンOFF 部を拡大し、サージやリンギングの状態を確認できます。
図3 1周期に注目しスイッチング損失を求める
プローブ*およびオシロスコープには固有の立ち上がり時間があり、図4のように測定に影響します。
*アクティブプローブのみ。パッシブプローブはオシロスコープの一部として扱います。
図4 オシロスコープで観測される立ち上がり時間
実際の信号の立ち上がり時間をTr - S、プローブ固有の立ち上がり時間をTr - P、オシロスコープ固有の立ち上がり時間をTr - Oとすると、オシロスコープに表示される波形の立ち上がり時間Tr - Dは次の式で表されます。
また、プローブやオシロスコープ固有の立ち上がり時間は以下の式で近似できます。
立ち上がり時間[s] = 0.35/周波数帯域[Hz]
これらの式を基に、帯域500 MHzのオシロスコープと、帯域150 MHzおよび400 MHzの差動プローブを組み合わせた場合、立ち上がり時間が20 ns(SiCのレンジ)および5 ns(GaNのレンジ)の信号を観測した際の、実際の信号立ち上がり時間とオシロスコープに表示される立ち上がり時間の誤差の理論値は、表1の通りです。
表1 測定条件別立ち上がり時間の誤差(理論値)
誤差はスイッチング損失計算に直接影響を与えるため、デバイスの仕様に応じたプローブとオシロスコープの選定が重要です。DLMシリーズの500 MHzモデルと差動プローブ702921/702922を組み合わせることで、立ち上がり時間5 nsの信号を誤差約2.5%*で測定することが可能です。
* 理論値であり、実際のプローブやオシロスコープの周波数特性、測定環境、またプロービングの方法によって変動します。
IGBTからSiC、Si–MOSFETからGaNへの置き換えに伴い、スイッチングの立ち上がり時間が高速化し、サージ電圧が大きくなる傾向があります。また、これらのデバイスの特性を活かして高電圧化を進めると、相乗効果でサージのピーク電圧がさらに増大します(図5)。そのため、測定時には従来よりもオシロスコープの電圧レンジを1レンジあるいは2レンジ程度大きく設定する必要があります。この際、スイッチング損失測定の精度低下が懸念される場合、高分解能のオシロスコープの使用が有効です。
図5 高速・高電圧デバイスにおけるサージ電圧の傾向
併せてサイクル統計メジャーを使用することで、演算対象範囲に含まれるすべての周期に対して、それぞれ損失演算を行い、結果をリスト表示することができます。図4は、図3の波形全周期を対象にしてサイクル統計メジャーを適用した例です。ここでは前述した4種類の電力パラメータを各周期ごとに算出し、時系列にリストアップしています。リスト上で任意のセルを選択すると、そのセルの値を求めるために参照した1周期をズームウィンドウに表示します。この機能により、演算結果に異常が認められた場合などに、簡単に対応する波形を確認することができます。
図6 サイクル統計メジャー機能
ソフトスイッチング方式では、ターンONまたはターンOFF、あるいはその両方のタイミングで電圧と電流が交差しないため、スイッチング損失演算が適用できません。この場合、次の2つの方法で損失を求めることが可能です。
図7 PFC回路のスイッチング損失算出手順
DLM3000HDシリーズは、小型軽量コンパクトながら大容量ロングメモリーと豊富な解析機能で好評いただいてきたDLM3000シリーズが電圧軸分解能を拡張し、メモリーを最大1Gポイント(/M3オプション)まで拡張、入力感度やアクイジションレートなど様々な改善を施した、新設計の4チャネルミックスドシグナルオシロスコープです。
YOKOGAWAのDLM5000HDは、最先端の4/8チャネル高分解能オシロスコープです。コンパクトな8チャネル、垂直軸分解能12ビットのオシロスコープで、複雑な高速波形を高分解能で観測・解析でき、微細なノイズやリンギングなどの確認が容易に行えます。回路チェックからトラブルシューティング、高度なタイミング解析まで、幅広いアプリケーションをカバーしています。